小田原・下曽我から
小田原市街に移動、
小田原城散策後に1504年に
北条早雲に
京都より呼び寄せられてから
小田原にて開業した
ういろうを訪問しました。
小田原城についてはこちらをご覧になってください。
続笹団子のひとりごと「小田原に梅の花を求めて5」
ういろう・外郎は14世紀に滅亡した大陸の
元王朝で
礼部(れいぶ)という今の
日本で言う
外務省・文部科学省・宮内庁にあたる官庁で
員外朗(いんがいろう)という中堅職なのでしょうか? その地位にいた
陳宗敬が
博多にて帰化。
陳宗敬は
大医員という医療の官職も持っていたという説もあり、医学の知識があったそうです。 彼は
「外郎(ういろう)家」を名乗ったそうです。
その息子の
宗奇が
明からもたらしたのが
透頂香(とんちんこう)という
薬でこれが薬品の
「ういろう」と呼ばれています。
父親の
陳宗敬は
室町幕府のオファーを断り
博多で過ごしていたのですが、息子の
宗奇はオファーに応じて
京都に移住したそうです。 その後、
応仁の乱後に分家である
宇野藤右衛門定春が
小田原に移住し、今に至っているそうです。
その
外郎家で江戸時代まで接待用のお菓子として作られていたのがお菓子の
「ういろう」だったそうです。 一般に販売されたのは
明治に入ってからのことだそうです。
そんな経緯から店舗の真中がお菓子の販売に、左が漢方薬・
薬のういろうも扱う
薬局という
菓子店としては珍しい作りになっています。
−追記 3月8日 −
和菓子街道さんによると店舗のお城のような建物は外郎家五代目のご当主の方があの建物に近い八ツ棟造り(やつむねづくり)という建物を建てた時に時の朝廷よりお祝いのお言葉を賜り、以来店舗が壊れると同じものに立て直すのが遺言となっているそうです。 約500年から続いていて、今の建物は平成9年に建て替えたそうです。
和菓子街道・ういろう
http://www.trad-sweets.com/wagashikaido_4/pg22.html−追記 ここまで −

もちろん、
お菓子のういろうを購入しました。

東海道に面した場所柄、箱根越えの前に
薬を求めた旅人がいたのでしょうか? 江戸時代の旅人のイラストが箱に印刷されています。

粘りを出すためか?
小麦の澱粉が原材料に含まれています。


こちらは
ういろうの
白です。
小麦澱粉の他に米粉、砂糖、水飴のみで作られた蒸菓子です。粘りが強く、モチモチした食感です。
素朴な甘さ、餅に近い米の風味がおいしいです。



こちらは
小豆です。
白に恐らく粉末にした小豆を練りこんだういろうです。
小豆の風味がおいしいです。外郎家は小田原の店舗以外に「ういろう」を名乗ることを認めなかったために名古屋など他の地域で作られているものは「ういろ」もしくは「○○ういろう」という名称となっています。 元から帰化した陳宗敬から24代。 約六百年続く外郎家の強いこだわりなのでしょう。次回は
箱根
の帰りに立ち寄りたいですね。
そのときは
室町時代に作られた当時の
黒砂糖の
黒をお土産にしたいです。