
バラ売りされてなく、6個のパックで売られていました。
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「洋菜粉」とは寒天のことだそうです。
高雄縣にある高苑科技大學應用外語系日文組の学生さんがまとめた論文・「日本の和菓子「羊羹」について」によると玉里の羊羹は日本による台湾統治が始まり、治安が安定した明治末(1905年)に玉里に入植された窪田コ次郎さんが開店された窪田勝山堂で羊羹の製造・販売をされたのが始まりだそうです。
戦後に中国国民党は日本人に台湾から引揚げる旨のお達しを出しました。 満洲のように死人が出たほどの引揚げの混乱は無かったものの、一人あたり限られた現金とカバン、布団袋一つずつしか持ち出せなかったので台湾で和菓子店を経営していた日本人は道具を置かざるを得なかったそうです。 お店は従業員だった台湾人に引き継がれて今でも営業しているお店はありますが、今は窪田勝山堂は廃業されたそうです。
他に日本で修行された台湾人の和菓子店もありました。(今でも営業されているお店もあるそうです。)
1950年創業の玉里の廣盛堂は直接日本人から羊羹の製法を習ったのではないのですが、今は玉里で人気店だそうです。



箱の割には小さい羊羹です。 日本人には?でしょうが、日本の大きさの羊羹は台湾人には重く感じるらしいです。

玉里のお店には日本サイズの羊羹が売っているそうです。
窪田さんが作った羊羹をもとに作られた小豆(紅豆)の羊羹で寒天が日本の羊羹より少ないのでしょうか?やわらかいです。小豆の風味、程よい甘さがおいしいです。
羊羹は他にも数種類あり、台湾ならではのパイナップルやウーロン茶の羊羹もありました。